JEMA RESPONSE to “Fundamentalism” (日本語)

Dale W. Little., editor. Miyoshi Akihisa, translator. Japan Evangelical Missionary Association ad hoc Theological Commission Response to the Japan Evangelical Association Theological Commission's Pamphlet No.6, Fundamentalism: "Affirmations and Questions for Discussion." Tokyo, October 2007.

[Editor's note: This response was presented by the ad hoc JEMA Theological Commission for discussion at a JEA Theological Commission meeting in the fall of 2007. Only two out of the seven "Questions for Discussion" raised here were actually discussed—and those only briefly. Since then there has been no further discussion between JEMA and JEA on the theological issues raised here.]

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翻訳 三好明久

確認

1)このトピックの重要性

 このパンフレットはキリスト者が戦争について、特に、9・11に対する応答としてアメリカによって始められた現在進行中のイラクにおける戦争についてどのように考えるべきかという問題についてのべています。全てのキリスト者は戦争が悪の一種であることに同意しています。キリスト者の間で見られる相違は、通常、戦争の必要が正当化される場合があるかどうかという点に集中します。この議論に対して、このパンフレットは、戦争というものはどんな場合にもその必要を正当化され得ない、なぜならば戦争はイエス・キリストに従う者たちにふさわしいものではないからだという立場を主張しています。そこには、日本人の福音主義的平和主義が提示されています。そして、このパンフレットは、イラク戦争を支持する存在としてのアメリカの福音派についての理解と、そこでアメリカの原理主義的神学として描き出しているものとを関連付けています。そういうわけで、パンフレットのタイトルも『原理主義』となっています。このパンフレットは、そこで描かれたアメリカの原理主義的神学をアメリカの福音主義の特徴として理解した上で、それを批判するのです。

 このパンフレットの目的の一つは、日本の福音派がアメリカの福音派との間に距離を置くことで、イラク戦争の反対者が福音派に向ける批判をそらすことにあります。そのような批判は日本における伝道を妨害するものだと考えられているのです。そういうわけで、このパンフレットは、日本における伝道を励ますことと、日本の福音主義的平和主義を弁護することの両方を狙っているのです。このパンフレットは、日本における福音主義的思考の形成に重要な役割を果たします。私たちは、この議論が日本の福音派のために重要であることを認めます。

2)このトピックについて出版することの重要性

 これに加えて、このパンフレットは日本の外においてもおそらく重要性を持っているでしょう。イラクにおける現在の戦いによって、米国福音派は戦争に関する聖書的、神学的、道徳的基盤について再検討をするようになっていくと思われます。もしそうなら、日本人の福音主義神学者たちによるこの問題についての信頼できる神学的な取り扱い-たとえばこのパンフレットのような出版-がこの問題を批判的に検討することに関して触媒的な役割を果たすかもしれません。日本は唯一の原子爆弾被爆国として独自の立場にあるのですから、日本の福音主義神学者たちは平和を作る働きに関する神学の構築において特別な貢献をするのです。私たちは、日本の神学者たちがこのトピックに関して国際的に発言するために継続的に出版していくことの重要性を認めます。

3)国際的な神学的対話の必要性

 イラク戦争はアメリカにおいてでも福音派の間に両極端の反応を生み出してきました。アメリカの福音派には、より国家を中心に考える人々と、そうでない人々がいます。また、アメリカの福音派には、神学的に保守派の人々がいる一方、そうでない人々もあります。つまり、アメリカの福音派キリスト教会は多様性と複合性をその特徴としているのです。ですから、多様で複合的なアメリカの福音派キリスト教会の中で微妙な問題について発言する場合、誰かの感情を害することになるのは避けられないのです。

 私たちJEMA特別神学委員会は、私たちが幅広い国籍を代表していることを意識しつつ、アメリカ人ではない福音派によって提示されたアメリカ福音派教会に対する公平な批判の価値を認めるものです。なぜなら、神学というものは、国際的な仲間との対話を通して最も良く構築されていくのだということを私たちは理解しているからです。アメリカの福音派は日本の福音派の言うことに耳を傾ける必要があります。そういうわけで、私たちは、戦争と平和を作り出す働きにおける教会の役割に関係する微妙でかつ重要な問題に関して大胆に論じた、これら六人の日本人の福音主義神学者に敬意を表します。


議論のための質問

1)潜在的に分裂をもたらす恐れのある強い声明

 このパンフレットは、JEMAとJEAに属するある人々も共有している、アメリカの福音派の一部が保持している見方に関していくつかの強い声明がなされています。[1] JEAとJEMA双方は多様な神学的立場を反映しています。これらのような強い声明は両方の組織に摩擦と不和を引き起こす潜在的可能性をもたらします。そのような強い、潜在的に分裂をもたらす恐れのある声明を抜きにこのパンフレットの目的を果たす方法は他になかったのでしょうか?JEA神学委員会が日本の福音派世界におけるその重要な立場を用いて、JEAのメンバーとして必修ではない、全てのメンバーが必ずしも共有してはいないものとして知られる神学的立場に対して日本の福音派に影響を与えていくことは賢いことなのでしょうか?

2)平和を作る働きに関する健全な神学に向けて

 日本の福音派をアメリカの福音派から距離を置こうとするこのパンフレットの関心によって、消極的な批判のための神学的な文脈が作られています。議論の底流に流れるアンチ・アメリカ的な言い回しによって、平和を作る働きに関する日本の福音主義神学がグローバルな福音主義運動に対して潜在的になしうるはずの、積極的、建設的、そして恐らく独自の貢献が、このパンフレットでは影をひそめることになっています。[2] その結果は、反動主義的な平和を作る働きの神学となってしまっているようです。アメリカの福音主義がもつ多くの認識されている神学的な誤りの上に建てあげることなしに、日本の特徴を生かした平和を作る働きの神学を出版することは可能なのでしょうか?

3)アメリカの原理主義とは何かということと、アメリカの原理主義者とは誰のことかということの混同

 アメリカの福音主義は歴史的にも神学的にも複合的です。「原理主義」という言葉の明確な定義と一貫した用法を欠くことによって、このパンフレットは混同を犯しています。たとえば、このパンフレットのいくつかの論文では、「キリスト教原理主義」と「福音主義」という言葉は(明確な区別なしに)重複して使われていることがわかります。キリスト教原理主義はまた、保守的なキリスト教として描写されています。[3] アメリカの福音派の中にはモノ言う左翼も存在しますが、アメリカ合衆国における福音派は歴史的に聖書の根本教理である、神は宇宙の創造主であり主であること、処女降誕、身代わりの死による贖い、体のよみがえり、字義通りのキリストの再臨、そして聖書が誤りのない権威であることに同意しています。しかしながら、アメリカにおける福音派は普通、原理主義者という言葉を、(これらの根本教理に加えて)字義通りの6日間の創造とディスペンセイション的な千年王国前キリスト再臨説というような他の教理をも保持する必要があると考えるグループに当てています。しかし、教理的な立場だけである人をアメリカのキリスト教原理主義者であると決め付けることはできません。そこで、これらの教理的な立場に加えて、アメリカのキリスト教原理主義者は、教理的な問題や道徳的な問題で自分たちと同意しない人々との社会的な関係を絶って孤立化していくという傾向があり、それには他の福音派の人たちから自分たちを分離するということをも含んでいます。アメリカの文脈では、「キリスト教原理主義者」たちは「アメリカ単立原理主義教会(IFCA)」と関係することが多く、一方、福音派は「全米福音同盟(NEA)」に参加することを選ぶのです。『原理主義』のパンフレットの寄稿者のうちの何人かはアメリカにおける福音主義もしくは保守的キリスト教をキリスト教原理主義と同じものであるとすることによってこの違いを見過ごしているのです。つまり、このパンフレットでは、アメリカの福音派とアメリカのキリスト教原理主義者とを(勝手に)ひとくくりにしてしまっているのですが、それはアメリカ人自身が自分たちをどう理解しているかということを描いたものではありません。そのために、(このパンフレットでは)アメリカ人たち自身とは関係のないところでアメリカの福音派を定義し直すという結果になっているのです。この修正主義は意図されたものなのでしょうか?

4) 間違った代表描写

 このパンフレットの寄稿者のうち幾人かは、アメリカの福音派が好戦的な態度をもっており、それによってアメリカという国を戦争に導いたし、そのような態度は彼らの神学に原因があるという描写をしています。[4] おそらく、より正確にアメリカの福音派を特徴づけようとするなら、彼らは戦争にはしぶしぶ参加したと言うべきです。しかも、このパンフレットが批判している保守的なアメリカの福音主義神学の持ついくつかの側面(次のポイントを参照)は、必ずしもアメリカの福音派が戦争に拍手喝采するという結果をもたらしません。このような間違った代表描写が生み出す言い回しによって、日本の福音派は、(同じ福音派といっても)日本とアメリカでは違うんだと確信するかもしれません。すなわち、アメリカの福音派は好戦的で、日本の福音派は平和を愛するんだと。しかし、このような言い回しはまた、多くのアメリカの福音派に対して日本の福音派が不必要な敵意を抱くようにする潜在的可能性を持っているのです。JEA神学委員会はアメリカの福音派を正確に描くことに価値を置くことで健全な神学上の対話を励ますようにしているでしょうか?

5)神学的還元主義

 渡辺は、福音派の意見を含めて、世論を形成するのに歴史的な出来事が重要な役割を果たしているということを理解しているようです。しかしながら、他の何人かの寄稿者たちは、多くのアメリカの福音派が保持している神学上の立場と軍国主義支持との間に因果関係があると主張します。[5] そのようにして、アメリカの福音派によるイラク戦争支持の原因は神学に還元されます。(彼らによって犯人として)疑われる神学的な立場には、千年王国前キリスト再臨説、ディスペンセイションの終末論、聖書の字義通りの解釈(絶対的無誤性?)に基づく若い地球説が含まれます。もちろん、これらの神学的立場を保持する多くのアメリカの福音派やキリスト教原理主義者たちがイラクにおけるアメリカの戦争を支持していたということは疑えません。しかしながら、(それと同時に、)多くの他のアメリカの福音派や、おそらくアメリカのキリスト教原理主義者でさえ、これらの同じ神学的確信をもちながらもイラク戦争に反対している人たちがいるのです。アメリカの福音派の間では、(それがどの戦争であったとしても、)戦争に対する立場を含めたひとりの人の政治的スタンスが(その人の)神学によって決定的に定められるというようなことはありません。JEA神学委員会は、アメリカの福音派がたとえ同じ神学的立場を保持していても(戦争や政治といった、他の事柄に対する立場は)このように多様であるということを認識しているのでしょうか。

6)聖書学

 論文の一つは、日本の福音派が穏健な無誤性の理解に到達し、アメリカのキリスト教原理主義者のような極端に字義通り聖書を解釈することを避けるために、絶対的無誤性から全的無誤性へと立場をシフトさせることを励ましています。[6] このことは、日本とアメリカの福音派が一般的に絶対的無誤性の立場を保持しているということを暗示しています。しかしながら、アメリカの福音派の大半は実際には全的無誤性の立場を保持しています。典型的なアメリカの福音派のこれまでの立場が全的無誤性であったのならば、日本の福音派が絶対的無誤性から全的無誤性にシフトすることは、日本人による平和を作る働きの神学の達成にどのように助けになるのでしょうか?アメリカにおいては、全的無誤性がこれまでに明らかにそのような功績を果たして来たということはないからです。それとも、聖書の無誤性に対するより穏健な見方に向かって移行するようにとのこのような提案は、実際には(もうすでにアメリカの福音派の大半が保持している)全的無誤性よりももっと幅の広い見方を提案することを意味するのでしょうか(たとえば、限定的無誤性、目的の無誤性、調整された啓示、または非命題的啓示など)?JEA神学委員会は聖書の無誤性に関する自分たち自身の立場をどのように理解しているのでしょうか。

7)JEA神学委員会は排他的?

 藤本は、しばしば原理主義に付きまとう対決的な姿勢を、「私たち対彼ら」の精神性がいかに生み出してきたのかということを示しています。このパンフレットの中の少なくとも一つの論文は、日本の福音派をアメリカの福音派から遠ざけようとするために、まさにそのような排他的な姿勢を作り上げています。[7] JEA神学委員会は、このような排他的な精神性を彼らがアメリカのキリスト教原理主義と呼ぶものの中には見出すものの、同じ傾向が自分たちの委員会の中にもあるということを認識しないでいる皮肉に気がついているでしょうか?


[1]「以上のようなディスペンセーション主義の立場に立つと、イスラエル建国は歴史の終焉が近づきつつある前兆となる。世界観は悲観的終末論となり、現在の悪の世界は手の施しようがないため、今なすべきは、社会的責任を果たすことよりも、終末に備えて燃えている世界から一人でも多くの魂をキリストのもとへ救うことのみとなる。」関野祐二(II.A.)

「この裁判を分水嶺として、根本主義者たちは地下にもぐり、セクト化して、1970年代まで表舞台から姿を消すことになる。」関野祐二(II.A.)

「1940年代、根本主義グループは、排他的戦闘的分離主義的グループ「キリスト教原理主義」(Fundamentalism)と、穏健な「福音派」(Evangelical)(狭義の福音派)に分裂した。」関野祐二(II.B.)

六日間創造説について:「米国キリスト教原理主義者をはじめ、広く福音派で受け入れられている説であるが、進化生物学や天文学データを一切受け入れず、一般科学との対話が成り立たないのが難点である。」関野祐二(III.)

「米国における宗教右翼の主張には、相手に悪魔のレッテルを貼りつけて恐れや敵意を醸成するイデオロギーがある。それは、この世に対する聖書的な見方とも、正しい世界観とも言えない。キリスト教原理主義の中心には「怒り」の感情があるが、怒りは福音の核心である他者を愛するわさと相容れない。」関野祐二(V.A.)

「黙示的センセーショナルな終末論にしても、創造科学にしても、その根底には聖書解釈学的な問題が潜んでいる。聖書が書かれた目的や執筆当時の言語的文化的制約を無視し、契約的腫罪的考察を欠いた字義的解釈は原理主義と福音主義主張に陥りやすい。米国キリスト教原理主義が、特にインテリでない南部で広く浸透している背後には、煩雑な聖書解釈の方法論を避け、聖書を単純化して読む福音派特有の風潮の弊害がある。したがって我々にも、地方教会の現場で信徒が日々聖書を読み、釈義/解釈/適用をする際、誤った読み方に傾かないよう、しっかりした指導と教育が求められる。」関野祐二(V.E.)

千年期前患難時代前説について:「この終末論の第一の問題は、それがきわめて現世的であり、政治化、世俗化している点である。」岡山英雄(II.C.1.)

「終末的戦争の強調も問題である。彼らはハルマゲドンの戦い、世界最終戦争に強い関心を持ち、それを核戦争と結びつける者もいる。またキリストの来臨の前には世界最終戦争が必ず起こるので、地上の戦争を終末のしるしとして肯定的に捉える傾向がある。」岡山英雄(II.C.3.)

「キリスト教終末論が世俗化し、地上に現世的な神の王国を武力によって打ち立てようとするときにさまざまな歪みが生じる。」岡山英雄(II.C.3.)

[2]「イラク戦争反対の方々からは、アメリカの福音主義教会のイラク戦争支持と好戦的な傾向に対して、目本の福音主義教会への問合せがあったり、批判を受けるという状況もありました。「教会の一致と一体性」との関連で、イラク戦争に対する考え方や対応がアメリカの福音主義教会と目本の福音主義教会ではどこで一致し、どこで違うのかを神学的に検討する必要を覚えたのです。」倉沢正則(巻頭)

「現代の米国のキリスト教原理主義の問題点は、自国至上主義、単純な善悪二元論、世俗化した終末論である。」岡山英雄(要約)

「なぜ米国のキリスト教原理主義者は今も、イラク戦争を強く支持し続けているのだろうか。強い疑問と共に多くの日本人にキリスト教への嫌悪感が生まれ、日本における福音宣教の大きな妨げとなっている。」岡山英雄(序)

「それゆえ軍事力による世界制覇という妄想にとりつかれた国が、世界を破滅に導こうとしているなら、私たちにはその愚かさを指摘する責任がある。」岡山英雄(III.B.)

「政府に対し戦争反対の抗議文を送ることや、ブッシュ大統領の神学を吟味し批判することは大切である。」渡辺聡(おわりに)

[3] 世俗のメディアが用いるのと同じ描写で、アメリカの原理主義者たちを「分派」そして「好戦的」と描写した後、関野は、メディアが使うのと同じ用法で福音主義という用語を用いることに反対して警告いしています(IIB)。

関野はプロミス・キーパースの大会で用いられている説教者のトニー・エヴァンスとキリスト教再建運動のゲリー・ノースに原理主義者のレッテルを貼ります(II.C.)。おそらく、双方ともにむしろ福音主義者と呼ばれたいでしょう。ちなみに、はっきりさせておきたいのですが、トニー・エヴァンスはプロミス・キーパース運動の創始者ではありません。そのような名誉はビル・マッカートニーに属するものでしょう。

関野はダン・クェール夫人を「福音派・キリスト教原理主義者」と描写しています。(IID)

NAE(全米福音同盟)がイラク戦争に関して沈黙しているとの描写のあと、岡山はたずねます。「なぜ米国のキリスト教原理主義者は今も、イラク戦争を強く支持し続けているのだろうか。」(序)彼の頭の中では、アメリカの福音派はアメリカの原理主義者と同じグループであるようです。

岡山はジェリー・ジェンキンズと彼の書いた「レフトビハインド」シリーズをアメリカの原理主義者に分類しています。(IIC)

[4]「9・11 (2001年9月11日に発生した、米国同時多発テロ事件)以降米国に顕著となった、独善的・好戦的姿勢の底流にキリスト教原理主義があり、米国福音派諸教会がその政治的支持基盤となっていることに対して、我々日本の福音派諸教会は戸惑いと疑問を覚えている。」関野祐二(はじめに)

「17世紀のピューリタンは、新しいイスラエルとしての強い選民意識を持っていた。彼らの北米移住によって、先住民「インデイアン」の大虐殺が行われた。白人のキリスト教徒が、有色人種の異教徒を懺滅するという構図は、12世紀の十宇軍、17世紀の中南米・北米先住民の虐殺、さらには20世紀のフィリピン人の虐殺、東京大空襲、原爆投下による日本の民間人の大量殺裂、べトナム戦争における300力人の無差別殺戮、そして21世紀のアフガン、イラク空爆に共通している。」岡山英雄(I.B.2.)

「なぜ現代の米国のキリスト教原理主義者は、自国の戦争を無条件に肯定するのだろうか。」岡山英雄(II.A.1.)

「国家のために国民を統合する宗教(市民宗教)が、日本の場合は神道原理主義としての国家神道であったように、アメリカの場合はキリスト教原理主義としての国家墓督教である。「国神道」とは、明治政府によって、元来、多神教的である神道が、国家統一のために一神教的に作り変えられたものである。同様に、 「国家基督教」とは、元来、非暴力・非戦の教えであるキリスト教が、戦争遂行のために好戦的に歪曲されたものである。」山英雄(II.A.2.)

「軍事力によって善が悪を滅ぽし、神の国が拡大するという考えは、西欧キリスト教社会に一貫している。その集大成とも言えるのが、米国のキリスト教原理主義である。」岡山英雄(II.B.)

「17世紀のピューリタンは、カルヴァンのジュネーヴのような碑政政治を理想としていた。新しいイスラエルとしての選民意識と使命感を持ち、旧約のイスラエルとの連続性を強く意識していた。それゆえカナンの地を占領したイスラエルのように、 「新大陸」において北米の先住民を征服して神の国を建設することをめざしていた。」岡山英雄(II.C.3.)

「今日問題とされるアメリカの原理主義は、イスラエル民族の出エジプトとアメリカの建国を重ね合わせて理解しようとする聖書解釈に由来していると思われる。すなわち、イスラエルの選びと使命をアメリカの選びと使命としてとらえ、旧約聖書より連綿とつながる「熱心党」の現代版ともいえる「侵略戦争」へと国家を導いているかに見受けられる。」石原潔(要約)

[5]「キリスト教原理主義が教会を戦争へと駆り立てる第三の原因は、その終末論にある。米国の宗教右翼によれば、終末的な患難期の前に、イェスは真のキリスト者を携挙するために空中に再臨する。」岡山英雄(II.C.)

「終末的戦争の強調も問題である。彼らはハルマゲドンの戦い、世界最終戦争に強い関心を持ち、それを核戦争と結びつける者もいる。またキリストの来臨の前には世界最終戦争が必ず起こるので、地上の戦争を終末のしるしとして肯定的に捉える傾向がある。」岡山英雄(II.C.3.)

[6] 関野(V.B.)を参照。神学者たちが一般に絶対的無誤性と全的無誤性の両方をさして字義的解釈と呼ぶのに対して、関野は絶対的無誤性だけが字義的解釈と呼びうるものであるとしています。彼が繰り返して字義的解釈を批判する時、その批判は絶対的無誤性に向けられたものであって、全的無誤性に向けられたものではないと理解すべきです。

[7] 岡山は、日本の教会は平和主義者の教会を除くと海外の教会とは協力すべきではないと暗示している。「日本の教会は、歴史的平和主義教会と協力しつつ。。。」岡山英雄(要約、III.A.1.)

このようなJEA内における排他的メンタリティーの可能性についての藤本の警告に注目せよ。「また対外的には、福音同盟としてのアイデンティティーをさらに大きな教会の中で位置づけ、私たちが排他主義に陥っていないか、自らの独白性をもって他者を裁いていないか、検証することも求められるであろう。」藤本満(おわりに)

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